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ティムール朝とオスマン・サファヴィー・ムガルの流れと一問一答
ティムール朝の興亡と、16〜17世紀に西アジア・南アジアで栄えた3つのイスラーム帝国を扱います。まず流れの解説を読み、一問一答(25問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。
一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。
流れの解説
ティムール朝
14世紀後半、中央アジアではティムールがモンゴル帝国の再興を目指し、1370年にサマルカンドを都としてティムール朝を建てました。ティムールは西アジアへ遠征し、1402年のアンカラの戦いでオスマン軍を破ります。ティムールの死後、帝国は分裂しましたが、文化は栄え、孫のウルグ=ベクはサマルカンドに天文台を建てました。
オスマン帝国の発展
13世紀末に小アジアに興ったオスマン帝国は、バルカン半島へ勢力を広げました。アンカラの戦いで一時打撃を受けたものの、1453年にメフメト2世がコンスタンティノープルを攻略してビザンツ帝国を滅ぼし、ここを都としました(のちのイスタンブル)。セリム1世は1517年にマムルーク朝を滅ぼし、エジプト・シリアを支配下に置きます。
16世紀のスレイマン1世の時代に帝国は最盛期を迎えました。1529年には第1次ウィーン包囲を行い、1538年のプレヴェザの海戦でスペイン・ヴェネツィアなどの連合艦隊を破って地中海の制海権を握ります。ただし1571年のレパントの海戦では、スペインなどの連合艦隊に敗れました。
オスマン帝国の統治
オスマン帝国では、キリスト教徒の子弟を徴用して編成した常備歩兵軍団イェニチェリが、スルタンの直属軍として活躍しました。騎士には軍役の代わりに土地からの徴税権を与えるティマール制がとられています。領内の異教徒には、宗教ごとの共同体(ミッレト)をつくらせて一定の自治を認めました。また外国人には居住・通商の特権(カピチュレーション)を与えましたが、これはのちに列強の進出の足がかりとなります。
サファヴィー朝
イランでは1501年にイスマーイール1世がサファヴィー朝を建て、シーア派の十二イマーム派を国教としました。最盛期のアッバース1世は都をイスファハーンに移し、壮麗な建築で飾りました。イマームの広場を中心とするこの都は、「イスファハーンは世界の半分」とたたえられました。
ムガル帝国
インドでは、ティムールの子孫バーブルが1526年のパーニーパットの戦いでロディー朝を破り、ムガル帝国を建てました。第3代のアクバルは、官僚に位階を与え、それに応じた騎兵と馬を維持させるマンサブダール制を整えます。また非ムスリムへの人頭税(ジズヤ)を廃止して、ヒンドゥー教徒との融和を図りました。
シャー=ジャハーンは妃の墓廟としてタージ=マハルを建てています。しかしアウラングゼーブはジズヤを復活させ、ヒンドゥー教徒の反発を招きました。デカン高原ではシヴァージーがヒンドゥー教徒のマラーター王国を建て、帝国は次第に衰えていきます。
インド=イスラーム文化
ムガル帝国のもとで、インドの文化とイスラーム文化が融合しました。ナーナクはイスラーム教とヒンドゥー教の融合を目指してシク教を開き、ペルシア語と北インドの言語が混じり合ってウルドゥー語が生まれました。美術では、ペルシアの細密画の影響を受けたムガル絵画が発達しました。
一問一答
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用語から説明を選ぶ(4択)
用語を見て、正しい説明を4つから選びます。似た種類の用語の説明と比べて選びます。回答後に正しい用語との対応を確認できます。キーボードでは1〜4で選べます。