魏晋南北朝・隋・唐の流れと一問一答
三国時代から南北朝の分裂、隋・唐による再統一と東アジア文化圏の形成までを扱います。まず流れの解説を読み、一問一答(35問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。
一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。
流れの解説
三国時代と晋
後漢末の混乱のなかで、220年に曹操の子の曹丕が皇帝から禅譲を受けて魏を建て、蜀・呉と並び立つ三国時代となりました。魏では中正官が人物を9等級に評定して推薦する九品中正が始まりましたが、実際には有力な豪族の子弟が高い官職を独占し、門閥貴族が形成されていきます。
魏から禅譲を受けた司馬炎は晋(西晋)を建てて中国を統一しましたが、皇族どうしの八王の乱で衰えました。
五胡十六国と南北朝
4世紀初め、内乱に乗じて匈奴など北方の諸民族(五胡)が華北に次々と国を建て、五胡十六国の時代となります。晋の一族は江南に逃れて東晋を建てました。
439年、鮮卑の北魏が華北を統一します。孝文帝は均田制を施行し、都を平城から洛陽に移して、漢人の制度や服装を取り入れる漢化政策を進めました。江南では東晋のあと、建康を都とする宋・斉・梁・陳の南朝が続き、華北の北朝と対立しました。
魏晋南北朝の文化
江南では貴族を担い手とする六朝文化が栄えました。東晋の顧愷之は「女史箴図」を描き、陶淵明は「帰去来辞」などの田園詩を残しています。梁の昭明太子は詩文集『文選』を編みました。仏教も広まり、北魏の時代には雲崗石窟の造営が始まります。東晋の僧法顕は仏典を求めてインドに渡り、旅行記『仏国記』を著しました。
隋
589年、楊堅(文帝)は陳を滅ぼして中国を統一し、隋を建てました。学科試験で官吏を選ぶ科挙を始め、律令による支配を整えます。次の煬帝は華北と江南を結ぶ大運河を完成させましたが、高句麗遠征の失敗などで各地に反乱が起こり、隋は短期間で滅びました。
唐の律令体制
唐の第2代皇帝李世民(太宗)の治世は「貞観の治」とたたえられます。唐は律令にもとづく国家体制を整え、中央には詔勅を起草する中書省などの三省六部を置きました。農民には均田制で土地を割り当てて租・調・庸を課し、府兵制で兵士を徴発しました。周辺の民族に対しては、都護府を置いて間接的に統治しています。
7世紀後半には則天武后が実権を握り、国号を一時、周と改めました。玄宗の治世の前半は「開元の治」と呼ばれる安定期でしたが、755年に節度使の安禄山らが安史の乱を起こし、唐は大きく揺らぎます。
唐の変容と東アジア
安史の乱ののち、均田制は崩れ、780年には資産に応じて夏と秋に課税する両税法が施行されました。875年に塩の密売人が起こした黄巣の乱で唐は決定的に衰え、907年、節度使の朱全忠に滅ぼされます。
唐の都長安は国際都市として栄え、景教(ネストリウス派キリスト教)なども伝わりました。玄奘はインドに旅して『大唐西域記』を著し、文学では杜甫や白居易らが活躍しました。周辺では、新羅が朝鮮半島を初めて統一し、中国東北地方には大祚栄が渤海を建てて、唐の制度を取り入れました。
一問一答
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用語から説明を選ぶ(4択)
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