内陸アジアと宋・元の流れと一問一答
遊牧国家の興亡、五代十国から宋の文治主義、モンゴル帝国と元までを扱います。まず流れの解説を読み、一問一答(31問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。
一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。
流れの解説
遊牧国家の興亡
ユーラシアの草原地帯では、騎馬の技術を持つ遊牧民が強大な国家をつくりました。黒海北岸のスキタイに続き、モンゴル高原では前3世紀末に冒頓単于のもとで匈奴が強大化し、漢を圧迫します。6世紀にはトルコ系の突厥が、8世紀半ばには同じトルコ系のウイグルがモンゴル高原を支配しました。ウイグルは安史の乱で唐を助けています。
遼と宋
10世紀、モンゴル高原東部では耶律阿保機が契丹(遼)を建てました。遼は遊牧民と農耕民を別々の制度で治める二重統治体制をとります。
中国では唐の滅亡後、五代十国の分裂が続きましたが、960年に趙匡胤が宋(北宋)を建てました。宋は武人の力を抑えて文官を重んじる文治主義をとり、科挙の最終試験として皇帝自らが行う殿試を設けました。しかし軍事力は弱く、1004年の澶淵の盟で遼に毎年銀と絹を贈ることになります。西北ではタングートの李元昊が西夏を建てました。
財政難に対し、神宗に登用された王安石は青苗法などの新法を行いましたが、司馬光ら保守派(旧法党)と対立し、党争が長く続きました。
金と南宋
1115年、中国東北地方の女真は完顔阿骨打のもとで金を建て、宋と結んで遼を滅ぼしました。さらに金は1126〜27年に宋の都開封を攻略し、上皇と皇帝を連れ去ります(靖康の変)。宋の一族は江南に逃れて南宋を建てました。南宋では主戦論の岳飛と和平派の秦檜が対立し、金と和議を結んでいます。
宋代の社会と文化
宋代には農業や商業が発展し、新興の地主層である形勢戸のなかから科挙に合格して官僚となる者が多く出ました。商業の発展を背景に、交子と呼ばれる紙幣も使われています。
思想では、宇宙と人間を理と気で説明する宋学が生まれ、南宋の朱熹がこれを大成しました(朱子学)。同じころ陸九淵は「心即理」を説き、のちの陽明学の先駆となります。
モンゴル帝国と元
1206年、テムジンはクリルタイ(集会)で推されてチンギス=ハンとなり、モンゴル帝国を建てました。第2代のオゴタイは金を滅ぼし、バトゥの遠征軍は1241年のワールシュタットの戦いでドイツ・ポーランド連合軍を破ります。フラグは1258年にアッバース朝を滅ぼし、イランにイル=ハン国を建てました。
第5代フビライは都を大都(現在の北京)に移し、1271年に国号を元と定め、南宋を滅ぼして中国全土を支配しました。元ではモンゴル人が支配層となり、中央アジア・西アジア出身の色目人が財務などで重く用いられます。東西の交流が盛んになり、ヴェネツィアのマルコ=ポーロがフビライに仕え、フランス王ルイ9世はルブルックを派遣しました。文化では歌と台詞からなる元曲が流行しています。14世紀半ばになると、白蓮教徒らによる紅巾の乱が起こり、元は北方に退きました。
一問一答
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用語から説明を選ぶ(4択)
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