冷戦と第三世界の流れと一問一答
国際連合の成立、東西対立の始まり、アジア・アフリカの独立、冷戦の緊張と緩和を扱います。まず流れの解説を読み、一問一答(33問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。
一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。
流れの解説
国際連合と戦後の国際経済
第二次世界大戦中から、連合国は戦後の国際秩序を準備しました。1944年の会議で国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)の設立が決まり、ドルを基軸とするブレトン=ウッズ体制が築かれます。1945年6月のサンフランシスコ会議では国際連合憲章が採択され、10月に国際連合が発足しました。国際連合の安全保障理事会では、米英仏ソ中の5大国が常任理事国として拒否権を持ちます。
冷戦の始まり
大戦後、アメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営の対立が深まりました。直接の戦争に至らないこの対立を冷戦といいます。1946年、チャーチルはヨーロッパの東西分断を「鉄のカーテン」と表現しました。1947年、アメリカはトルーマン=ドクトリンで共産主義の封じ込めを宣言し、マーシャル=プランでヨーロッパの経済復興を援助します。
ドイツは東西に分かれて占領され、1948年にソ連は西ベルリンへの交通路を遮断しました(ベルリン封鎖)。1949年には西側の軍事同盟として北大西洋条約機構(NATO)が結成され、1955年にはソ連と東欧諸国がワルシャワ条約機構を結成しました。
アジアの冷戦と独立
アジアでも冷戦が広がりました。中国では国共内戦に勝った共産党が、1949年10月に毛沢東を主席とする中華人民共和国の成立を宣言しました。朝鮮半島では1950年、北朝鮮軍が北緯38度線を越えて侵攻し、朝鮮戦争が始まります。
南アジアでは1947年にインドとパキスタンが分離独立しました。ベトナムでは1945年にホー=チ=ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言し、復帰を図るフランスとのインドシナ戦争となりましたが、1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスは大敗しました。
第三世界の台頭
新たに独立したアジア・アフリカの国々は、東西どちらの陣営にも属さない第三世界としての連帯を目指しました。1955年にはインドネシアのバンドンでアジア=アフリカ会議が開かれます。1956年、エジプトのナセル大統領はスエズ運河の国有化を宣言しました。アフリカでは1960年に17の独立国が生まれ、この年は「アフリカの年」と呼ばれます。1963年にはアフリカ統一機構(OAU)が結成されました。
雪どけと緊張の再燃
1953年にスターリンが死去すると、1956年にフルシチョフがスターリン批判を行い、東西の緊張は一時やわらぎました(雪どけ)。しかし同じ年、ソ連はハンガリー反ソ暴動を軍事介入で鎮圧しています。
中南米では1959年にカストロらがキューバ革命を起こし、1962年にはソ連のミサイル基地建設をめぐって米ソが核戦争の危機に陥りました(キューバ危機)。これに先立つ1961年、東ドイツは東西ベルリンを隔てるベルリンの壁を建設しています。キューバ危機ののち、1963年には米英ソが部分的核実験禁止条約を結びました。
多極化と緊張緩和
1960年代になると、両陣営の内部に変化が生まれました。中国では1966年から毛沢東がプロレタリア文化大革命を発動し、社会が大きく混乱します。1968年にはチェコスロヴァキアで民主化運動「プラハの春」が起こりましたが、ソ連などの軍事介入で抑えられました。ベトナム戦争では、アメリカが1965年から北ベトナムへの爆撃(北爆)を始め、戦争は泥沼化します。
1970年代には緊張緩和(デタント)が進みました。西ドイツのブラント首相は東欧諸国との関係改善を図る東方外交を進め、1972年にはアメリカのニクソン大統領が中国を訪問しました。一方、1973年には第4次中東戦争をきっかけに石油危機が起こり、世界経済が混乱します。1979年にはイランでホメイニの指導するイラン革命が起こり、同じ年ソ連がアフガニスタンに軍事介入して、米ソの緊張は再び高まりました。中国では1978年から鄧小平のもとで改革開放政策が進められました。
一問一答
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用語から説明を選ぶ(4択)
用語を見て、正しい説明を4つから選びます。似た種類の用語の説明と比べて選びます。回答後に正しい用語との対応を確認できます。キーボードでは1〜4で選べます。