戦間期と第二次世界大戦の流れと一問一答
1920年代の国際協調、アジアの民族運動、世界恐慌とファシズム、第二次世界大戦を扱います。まず流れの解説を読み、一問一答(30問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。
一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。
流れの解説
1920年代の国際協調
第一次世界大戦後のヨーロッパでは、ドイツの賠償問題が大きな火種となりました。1923年、フランスとベルギーはドイツの賠償金不払いを理由にルール地方を占領しましたが、ドイツの経済は混乱を深めます。1924年、アメリカ人ドーズの名をとったドーズ案で賠償の支払い方法が緩和され、アメリカ資本がドイツに流れ込んで経済は安定に向かいました。
1925年のロカルノ条約ではドイツの西部国境の現状維持などが定められ、翌年ドイツは国際連盟に加盟します。1928年には、国際紛争の解決手段としての戦争を否定する不戦条約が結ばれました。
アジアの民族運動
大戦後のアジアでは、民族自決の考え方に刺激されて民族運動が高まりました。1919年、朝鮮では日本の支配に対して三・一独立運動が起こり、中国ではパリ講和会議への反発から、北京の学生を中心に五・四運動が起こります。
中国では1924年に中国国民党と中国共産党が協力関係を結びました(第1次国共合作)。孫文の死後、蔣介石は1926年から北方の軍閥を倒すための北伐を進めますが、途中で共産党を弾圧し、国共は分裂しました。共産党は1934年から本拠地の瑞金を離れ、延安まで移動します(長征)。1936年、張学良が蔣介石を監禁して内戦停止を迫った西安事件をきっかけに、国共は再び協力に向かいました。
インドでは、ガンディーが非暴力・不服従を唱えて民族運動を指導し、1929年の国民会議派ラホール大会では完全独立(プールナ=スワラージ)が目標に掲げられました。トルコでは、ムスタファ=ケマルがトルコ共和国を建て、カリフ制を廃止して近代化を進めました。
世界恐慌
1929年10月、ニューヨーク株式市場の株価暴落から世界恐慌が始まりました。アメリカではフランクリン=ローズヴェルト大統領がニューディールを行い、テネシー川流域開発公社(TVA)などの公共事業で失業者を救済しようとしました。イギリスはオタワ会議で、本国と植民地の間で関税を優遇するスターリング=ブロックを形成し、各国もそれぞれ排他的な経済圏をつくっていきます(ブロック経済)。一方、計画経済をとるソ連では、スターリンが1928年から第1次五か年計画を進め、重工業化と農業集団化を強行していました。
ファシズムの台頭
イタリアでは、ムッソリーニの率いるファシスト党が1922年の「ローマ進軍」で政権を獲得しました。ドイツでは恐慌で社会が混乱するなかでヒトラーのナチ党が勢力を伸ばし、1933年に政権を握ると、全権委任法によって独裁体制を築きます。
ファシズムの拡大に対し、1935年のコミンテルン大会では反ファシズムの共同戦線(人民戦線)の方針が採択されました。スペインでは人民戦線政府に対してフランコ将軍らが反乱を起こし、1936年にスペイン内戦が始まります。ドイツはオーストリアを併合したのち、チェコスロヴァキアのズデーテン地方を要求し、1938年のミュンヘン会談でイギリス・フランスはこれを認めました(宥和政策)。
第二次世界大戦
1939年8月、ドイツはソ連と独ソ不可侵条約を結び、9月にポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まりました。1940年にフランスが降伏すると、ド=ゴールはロンドンで自由フランス政府を組織して抵抗を呼びかけました。1941年8月には、ローズヴェルトとチャーチルが大西洋憲章で戦後の構想を示しています。
1941年6月に独ソ戦が始まり、1942〜43年のスターリングラードの戦いでソ連軍がドイツ軍を降伏させると、戦局は転換しました。1944年6月には連合軍がノルマンディー上陸作戦を成功させます。1945年2月、米英ソの首脳はヤルタ会談でドイツの戦後処理などを話し合い、5月にドイツは降伏しました。戦争中、ナチス=ドイツはユダヤ人などを大量に虐殺しました(ホロコースト)。
一問一答
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用語から説明を選ぶ(4択)
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